境内案内

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御社殿

福岡藩初代藩主黒田長政が福崎山に福岡城を築城するため、慶長六年(一六〇一年)当社を一時小烏神社に合祀され、新社殿が造営された慶長十三年(一六〇八年)現在地に鎮座されました。
寛文八年(一六六八年)十月の市中大火災後、三代藩主黒田光之公によって再興され、現在の本殿はその時の佇まいを今日に伝えています。
本殿軒下には鳥や獣などの彫り物が随所にあり一見の価値があります。

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神門

平成二十年の式年遷宮の際に立て替えられたものです。
地震対策上、一部金具を使用しておりますが中心となる骨格は日本独特の組み込み技法で再現されています。

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鳥居

二代藩主黒田忠之が寛永十六年に建立したもので、石材は糸島市の可也山から切り出したものです。

可也山の御影石は初代藩主黒田長政も「日光東照宮」表門前に大鳥居(重文指定)として寄進しています。黒田忠之は、江戸幕府の要請により江戸城内の「紅葉山東照宮」(現皇居紅葉山養蚕所)に同可也山の御影石を使った鳥居を寄進していますが、同鳥居は明治六年に明治政府より「上野東照宮」に移築され、現在も池之端参道に不忍口鳥居として其の姿を残しています。

当神社の鳥居は「日光東照宮」「警固神社」「上野東照宮」と兄弟鳥居として現存しています。平成十七年の福岡県西方沖地震で一部損傷しその修理痕があります。

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今益稲荷神社

農業、商業だけでなく広く衣食住を司る「宇迦之御魂神」をお祀りしており、商売繁盛、事業繁栄のご利益で多くの方の崇敬をいただいています。
まさに今を益々豊にするお稲荷さまです。
ご神前には四体のおきつね様が座られていますが、拝殿前の二体のおきつね様は、全国でも珍しい微笑み顔と笑い顔のおきつね様です。
昔からおきつね様を撫でると商売繁盛のご利益が授かるとの信仰があり、多くの方が撫でて行かれます。

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天照皇大神宮

伊邪那岐神が小戸の檍原で禊された時に生りませる天照大神をお祀りしています。
伊勢神宮内宮の御祭神で日本国民の総氏神として、また太陽の神とも称され尊崇されています。
天皇皇室の祖神でもあります。

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菅原神社

菅原道真公を御祭神としてお祀りしています。
幼い頃から神童と称され、宇多天皇のもと遣唐使廃止など政治でも活躍し右大臣に任命されましたが、時の左大臣藤原時平らにより太宰府へ左遷され、失意の内に亡くなりました。
後に、学問に秀でていたことから学問の神として信仰を集めています。

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針乃碑

和歌山県加太町に御鎮座する淡島神社の御利益が婦人病に霊感あらたかとの庶民信仰が形を変え、女性の針仕事の神さまとして崇められるようになりました。
昭和五十四年五月に社団法人日本和裁士会福岡県支部と福岡和服裁縫組合によって建立されました。尚、正面の文字は亀井光元福岡県知事の揮毫です。
毎年二月八日に「針乃碑」前にて、豆腐に針を刺して祭典を行い、その豆腐に刺した針は、「針乃碑」の中にある石室に納められます。

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狛犬

文政十一年(一八二八年)御影石の台座に青銅製の狛犬が氏子より寄進されましたが、太平洋戦争時の供出によりしばらく台座のみが残っておりました。
現在の御影石の狛犬は、平成三年に氏子長尾百二郎氏より奉納されたものです。
狛犬は口を開けている方が「阿形」、口を閉じている方が「吽形」として対ですが、当神社の狛犬は両方とも男型です。
台座に刻まれている「石匠 廣田文市」は福岡県出身者で初めて総理大臣になった廣田弘毅の祖父です。

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燈籠

境内には七種類、三十三基の燈籠が奉献されていますが、本殿周りの十六基は二百年から四百年前に奉納された古いものが集まっています。
燈籠は「対」で奉納されているものが多いですが、本来の「対」の配置が崩れているものもあります。

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手水舎

手水舎は参拝者がお詣りするために身を清めるための施設です。
昭和九年に濵町の氏子より寄進されたもので、舎は釘を使わずに木組みで作られており貴重なものです。
水盤は、三・五トンの御影石をくり抜いて造られており、排水口がなく水盤から溢れ出ることで常に新しい水で清められるようになっています。

手水作法について

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御神水

一枚岩の龍の口よりあふれ出る御神水は、良質な天然水を生み出す地層を再現した「ミネラルクリスター」により生成され、健康に良いとして多くの方々にご利用いただいています。

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足湯

医療では「足浴」と言われ、身体に負担が掛からない健康法として昔から行われています。
ふくらはぎまで湯につけることで新陳代謝をはかり、足の疲れを取りリラックス効果がある健康法です。
天然ミネラルたっぷりの湯質ですので、疲れた足を癒やしにお立ち寄りください。

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神社石標

警固神社入り口に「縣社 警固神社」と彫られていますが、この石標は大正五年三月に濱の町氏子により寄進されました。
尚、縣社とは戦前までの社格制度の名残です。

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社務所

神社の事務一般を行うところで、令和四年九月に竣工致しました。
お守りや御朱印、各種御祈祷受付もこちらで承っています。

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神徳殿

現在の神徳殿は旧神徳殿が平成十七年の西方沖地震で多大な損傷を受けたことから、平成十九年三月に建て替えられたものです。
旧神徳殿は昭和三四年の式年遷宮時に、旧大名小学校木造校舎部分を取り壊す際の木材を地域と氏神さまの絆を繋ぐ意味も込め再利用して作られました。